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②ヨガの有用性ーその1



世界にはたくさんのエクササイズがあるなかで、ではなぜがんのときにヨガが良いのでしょう?

そもそも他のエクササイズとヨガは何が異なるのでしょう?



ヨガを実践している人の教科書とも言える“ヨーガスートラ”という古典を開いてみると、第一節目(ヨーガスートラは詩のような文章が書かれているものなので、その文章ひとつひとつを「○節」と数えます)に、


1:これよりヨーガを明細に説く


と書いてあります。

「ふむふむ。ではヨーガって何なのでしょう?」...と読み進めて行くと次の節では、


2:心の作用を死滅することが、ヨーガである。

3:そのとき、見る者【自己】は。それ本来の状態にとどまる。

4:その他のときは、【自己は】心の様々な作用に同化した形をとっている【ように見える】


と続いています。これがヨガがほかのエクササイズと異なる点です。


ヨガではそもそも、「このポーズが何かに効く」「この呼吸法はこのような効果がある」ということを最終目的としていません。最終目的はヨーガスートラ第2節に書いてあるように、「心の作用を死滅すること」。



右往左往せず、どっしりしていられる


「心の作用を死滅する」といっても感情を無くす、という表面的なことではありません。


わたしたち人間には一番内側に「本質的なわたし」という存在があります。

このヨーガスートラの訳でいうと、「見る者」「自己」と表現され、他にわかりやすくいうと「魂」「本質」「普遍の意識」などと表現できるかもしれない「本質的な存在」があります。

それは普遍であり無くなることのない存在です。



アーユルヴェーダ2心の作用を死滅させる、つまり、外側からの影響を受けず「本質的なわたし」がそのままでいられるときには、わたしは「それ本来の状態にとどまって」いられます。


つまり、外側からの影響に右往左往せず、普遍な存在としてどっしりしていられるということです。


しかし、第4節に書いてあるように、心の作用を死滅していないとき、つまり外側からの影響を受けてしまうときは「心の様々な作用に同化した形をとっている(ように見える)」状態になって右往左往します。


例えば、悲しい出来事が起きたときにそれは「悲しい」と感じる感情や心の作用が働いているだけなのに、「わたし自身は悲しい存在のものだ。わたしは不幸だ」と思ってしまう。

困った出来事が起きたときには「困った」と感じる感情とそう感じさせる出来事が起きているだけなのに、そこに「わたし」を結びつけて「わたしは困っている。困ったことになった。困った困った…」とより深く「困った」の世界に入り込んで必要以上に困ってしまいます。



人間はそうやって外側で起きる出来事や現象に影響を受けやすいものだけれども、

心の作用を死滅することで「本質的なわたし」「自己」は普遍であり無くなることがない存在であることを忘れないでいられますよ、普遍な状態にとどまっていましょう、といっているのがヨガの教えです。


普遍なわたし、でいると、現実にどんな出来事がやってきても対応できます。

どんな出来事にも対応できるので、この世界で動じずに穏やかに暮らしていけます。



では「どうしたら心の作用を死滅できるの?」「普遍なわたしはどうしたら感じられるのだろう?」という方法を探すうちに編み出されたものが、アーサナ(ポーズ)の練習や呼吸法です。


アーサナ(ポーズ)や呼吸法は、最終目的のための過程、目的に到達するための実践方法のひとつ、なのです。





冷静に「現象」と向き合う


がんにかかると「わたしはがんなんだ」「わたしはがん患者である」と自然と思ってしまいます。

そして悲しくなったりショックを受けたりします。


すると「わたしは悲しい存在だ」「わたしは不幸だ」という考えにすすみがちです。

しかし、本質的なわたしはそのものの存在、普遍な存在です。


「普遍な存在であるわたし」は変わることなくそこに在って、外側の現象として「その体にがん細胞ができた」「それを知ったら悲しいという感情が動いた」という事象が起きているだけなのです。


「わたし」と「現象」を結びつけない。


そうすると目の前の現実に正面から向き合えるようになります。

だって、どんな現実や出来事が起きても「わたしは普遍である」から変わらないもの。

だから何があっても大丈夫。わたしは無くなることもないんだから。



こう捉えられるようになると、

「では治療はどうしようか?」「生活はどうしたらよいのか?」という、

病気のときに考えなければならないことや具体的に進めなければならない現実問題を冷静に解決していくことができるようになります。



実際にわたしも、告知を受けたときや治療をすすめていく間や入院期間、またどの治療を選ぶのか考えるときに、周囲が驚くほど冷静で「わりと普通のテンションで」いられました。


当時はなぜなのか気がついてもませんでしたが、ヨガのこうした思想が根付いていたからこそ、またそれまでのアーサナや呼吸法の実践を通して「普遍なわたし」があることをうっすらでも感じていたから、冷静にがんという現実に向き合えたのだと思っています。



これが、がんのときにヨガが良いよ!という、ヨガの有用性のひとつです。

ほかにはどのような良い点があるのでしょう?



~第3回「ヨガの有用性-その2」に続く~




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