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③ヨガの有用性-その2



前回のコラムでは、

「普遍である本質的なわたし」の存在を認識する・意識することで、「現象」と「わたし」を結びつけなくなる。

その結果として、目の前の現象は現象として受け取ったり冷静に判断しやすくなることが、病気のときにヨガが良いよ!という有用性のひとつである、というお話をしました。


では、わたしたち人間というのは「普遍である本質的なわたし」だけで構成されている存在なのでしょうか?


もちろんそうではありません。

いまここにある自分の手や足を見つめてもわかるように、わたしたちは「普遍である本質的なわたし」いわゆる「魂」や「自己」という見えない存在の外側に、目に見える形である肉体があります。

肉体の他にも、見る、聞くといった感覚を司る感覚器官や心なども搭載しています。


ヨガの哲学では、この「本質的なわたし」のことを「プルシャ」という単語で表現し、それ以外の肉体や感覚器官や心などを「プラクリティ」と表現します。


プラクリティのなかには肉体や心や感覚器官などが含まれますが、さらにそれらは詳しく説明されています。


例えば、肉体は五大元素によって構成されている。

心とはブッディといわれる知性や、アハンカーラといわれるエゴなどの総合である。などなど。

肉体についても心についても、細分化されそれぞれがどのようなものであるかどのように出来ているかの説明がされています。


そしてこれらの細かい働きと、プルシャ(本質的なわたし)の総合が、いまここに存在しているわたし自身なのです。



肉体/感覚器官/心…アプローチの対象


このように、人間という存在の中身を細分化して説明しているのがヨガの哲学。

そして説明のみならず、肉体のととのえかたについてはアーサナ(ポーズ)という形で、

感覚器官のととのえかたはプラティヤーハーラ(制感)という形で、

心のととのえかたはダーラナ(集中)という形で、

その実践の仕方まですでに作られており、前回のコラムでも挙げた、“ヨーガスートラ”という古典書にももちろん記述されています。


人間というものを、

魂だけでもないし、心だけでもないし、肉体だけでもない、その総合でありそれぞれが互いに作用しあってわたしたちの存在が出来上がっていると捉えているのがヨガの根本的な考え方です。


ではここで、一般的ながんの治療について考えてみましょう。


がんにかかったときに、一般的な医療機関で示される三大治療といわれているものは、

 ・手術

 ・化学療法

 ・放射線療法

です。


部位や進行の具合、また個人の意思によってすべてを受ける人もひとつだけやふたつの治療を受ける人も、それはまちまちですが、いずれにせよ三大療法といわれる治療はこの3つです。


これら三大治療はいずれも、肉体に対するアプローチです。

わるいところを取り除く手術や、目には見えない微細なサイズの細胞に効く化学療法など。

科学の進歩のおかげでとても有効な治療方法がすすみ多くの人を救っています。


しかし、それらはどうしても「肉体」に対するアプローチです。

「手術がこわい」とか「再発が不安」とか「病気になってしまって悲しい…」などといった、告知後や治療中に起きる心の波には三大治療は残念ながら効きません。

またそういった心の波ゆえに起きる、不眠や呼吸の乱れなどにも対応していません。

それが悪いということではなくて、そのための治療ではないからね、ということ。

あくまでも、がんという肉体レベルの病気に対する有効な治療です。

そしてもちろんそれはとても重要なものです。






良いところをどんどん取り入れて


でも。足りない部分もあるのが事実です。

その、三大治療で補えきれない肉体以外の部分についてのととのえかたについて、すでに理論も実践方法も出来上がっているのがヨガです。


だから、一般的な治療とヨガの哲学や実践、どちらが良い悪いという話ではなくて、

どちらにも長所や短所、得意な点と不足する点がありますから、良いところを活かしあって足りないところは補っていけば良いのではないでしょうか。それがヨガが有用に活かせる方法なのではないでしょうか。



わたし自身、化学療法(いわゆる抗がん剤)の治療のために入院していた際、翌日の治療のことなどを考えてしまって寝付けないときにヨガの呼吸法をしばらく試していたら、いつのまにか眠りについていることが度々ありました。

採血や点滴のために腕に針を刺すときに、緊張してなかなか針が刺さらないときには、吐く呼吸をながーくとることで身体を緩めて針を刺さりやすくすることもできました。


ヨガだけが素晴らしい!ということではありません。

科学の進歩でここまで目覚ましくすすんだ医療技術も素晴らしいものです。


ヨガが好きな人やなるべく自然な生き方や治療を好む人のなかには、これらの科学的な治療や方法を良くないとする思想もありますが、わたしはそうは考えていません。

すべてのものには長所も短所も、得意とすることも不得意とすることもあるものなのだから、たくさんの選択肢があるなかで、良いところをどんどん取り入れて健やかに生きることが一番だと考えています。


どちらかが良いよ!悪いよ!ということではなくて、両方を活かして両方の持ちうる力を最大に使う、そして健やかに生きること。それが大切であり、そのようにバランスよく取り入れることで、ヨガの叡智が有用になっていくのです。



~第4回「身体をととのえるということ」に続く~


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